今夜もフィーリングッド♪
もはや誰も見ていないブログになっている気もしますが、ちゃんと言語化しておくために。
8月25日、日産スタジアムで行われた藤井風さんのライブに行ってきました!

前日24日の生中継は、見ないで我慢しようと思っていたのに、家族といっしょに最後まで普通に見てしまった私…(やめるの無理だった)。でも現地では、画面ではあまり伝わってこなかった会場の一体感を感じることができました。
7万人もの人々を、まとめて一気にフィーリングッドにする風さん。さすがだった!
この会場中の7万人がみんな、風くんのこと大好きで、彼たったひとりを見たくてここにいるんだ(×2日間)と思うと、なんか、ほんと、すごすぎて言葉が出ないです。ちびっ子からおじいちゃんまで、本当にあらゆる年代・性別の人たちがいました。
規制退場のとき、観客同士が手を振って送り出し合う、という温かい雰囲気だったのも、2時間のステージで、風くんがこの全員をまるっとゴキゲンにしてくれたから。
風くんのバイブスが、愛が、同じ時間を過ごした観客たちに伝染して、みんなすっかり優しい心になっていました。
一晩で7万人もの人たちの心が明るく満たされて、翌日の地球は、絶対いつもより軽くなってたはず。
前から、一生に一度でいいから生風を浴びたいと思っていて、それが叶ったのが前回のアリーナツアー。同じ空間にいること、同じ時間を過ごすこと、会場にいる私たちのためだけに歌い演奏してくれること... 初めてだったので余計に、ありがたくてありがたくて胸がいっぱいになった。
そのときもやっととれたチケットだったから、もう次はいつになるかわからないし、一度は経験できたのだから、欲張ったらいけないと思った。(ただ徳は積もう…とつよく思ったけど・笑)
そしたら今回はあっさり一次でチケットがとれて、思っていたより早く「次」の機会に恵まれ…、やっぱり素晴らしい経験ができたので、あああ、やっぱりまた次も…と欲望が…。一生に2度あったのだから、3度目もあってもよいのでは!?
…という気持ちはあるものの、今回思ったのは、もし次の機会に恵まれなかったとしたら、それは、そのときの自分よりも必要な人たちがいて、その人たちの手にチケットが渡ったと思えそうだな、ということです。
無料配信もそうだけど、商売っ気が薄く、ファンクラブもないチーム風。もちろんそういうところも大好きなのだけど、ファン歴が長いから、お金を積んだからといって優遇されるわけでなく、誰でもチケット申し込めるわけなので、興味をもつ人が増えれば増えるほど、チケット争奪戦になる。今回の配信でもファンが増えたと思うし、きっと倍率はどんどん上がっていく一方だろうな。
でも、そうなったらなったで、そのとき風さんに出会うことが必要な人がちゃんと選ばれるんだと受け入れられるな、と、なんだかそう思えました。たぶん、そんな気持ちになるくらい、神がかっていた、というか、みえない力に支配されてるような、そんな空間だったので。
そんなわけで、徳。たぶん関係ない(笑)
でも、徳を積むことしかできない気がするー。でもそうだな、きっとファンの皆さんもどんどん人格が磨かれていってそうなので、そんな打算てきな「徳」じゃなくて、もっと次元の高い徳? 積んだ自覚なく積めるくらいにならないと、もはや難しいのかも。……。
とりあえず、ここからまたよりよく生きていこうと思います。そんなふうに思わせてくれるだけでも、藤井風はほんとにすごくすごいのです。
あと、屋根のないスタジアムということで、暑さや台風が心配されてたけど、公演中は雨も降らず、優しい風すら吹いていて。
よく、「風くんには宇宙のサポートがついてるから」と香ばしいことを言ったりする人がいますが(私もだ)、でもきっとそれだけじゃないよね。少なくとも14万人の人がこのライブの成功を願ってて、その集合意識が、当日のほどよいお天気をもたらしたのではないかと思ってしまいました。
「どうせなんとかなります/すべては心から、思い、感情からスタートするんで」
最後のMCで、風くんが言ってた通りになってた。
いつまで見られるかな?
いらねえけどありがとう
料理がいつから嫌いになったのか考えてみると、それは子どもたちの成長とともにじわじわと症状が進んでしまったという以外の理由が思いつかない。
子どもとは天真爛漫な生きもので、嫌なものは嫌と言うし、慣れてないものに対する警戒心が強い。だからどうしてもメニューはワンパターンになりがちなのだが、それを気にして冒険をすれば、高い確率で「何これ!」なんてことを言われ、皿を突っ返される。
(中略)
そして多くの親がそんな経験を重ねて、徐々に料理に疲れていく。
一言一句その通りすぎて、私が書いたのかと思った。
私だけじゃなかったのか。
今も絶賛進行中だけど、ここ数年、特に、献立を考える時間が苦痛すぎて本当に毎日ごはん作りがストレスすぎて。これは積み重なった疲れだったのかあ、と目から鱗が落ちた。
大病、肉親との二度の死別、義理の両親の介護、、と立て続けにドラマチックなことが起きる人生を通して、黒帯のメンタルを手に入れた(と書いてある)村井さん。完璧であることをやめ、家を片付けて、食材はシンプルに、他人や子どもに期待をしない、などなど、村井さんのライフハックが軽妙な文章で綴られていて、参考にできそうなところから取り入れてみようとおもった。
読んでいて思ったのは、メンタル黒帯になるポイントはやっぱり自分軸なんだろな、ということ。
先日、とある集まりに参加してとある説明を受けたあと、そのとあるコミュニティの仲間にならないかと誘われた。
悪い集まりではなくて、惹かれないこともなかった。でも、いまじゃないような気がして即断できずお断りした。
相手の厚意や、よかれと思って心からの親切でお薦めしてくれているものを断るのって楽しいことじゃない。家に帰ってからも少し引きずった。
だけど私は、まさにその「よかれと思って心からの親切でのお薦め」が本当に苦手。自分の心が動かないものは選びたくないし、他人からどんなに言葉を尽くして良さを説明されたところで私の気持ちは変わらない...というか、むしろ、外から押し付けられると逆に心が動かなくなってしまう勢い。偏屈っていうんですかね...。
少し後ろめたさも抱いてしまったけれど、これこそ大切にすべき「自分軸」だったのではないかとあとからおもった。
そう、お薦めしてくれた人たちがいつも大切にしようってさんざん言ってる「自分軸」だよ...。
親切心は受け止めるけど、手綱はゆだねないこと。
村井さんのエッセイを読んでいたら、これでよかったんだとおもえた。
元気じゃないけど、悪くない
青山ゆみこさんの『元気じゃないけど、悪くない』(ミシマ社)を読んだ。
不安障害と診断された青山さんが、精神科にかかりながら、自分ひとりのための部屋を借りたり、知り合いと「オープンダイアローグ」をしてみたり、本や周りの人たちの力も借りながら少しずつ回復していく3年間の記録。
50歳を目前にして心身の不調がひどくなり、特に心が「振り切れ」てしまうところから始まる。
いつも頭のあたりを覆っていたモヤのようなものが突然霧散して、頭蓋骨の内側がぱあっと明るく光り輝いているような感覚に襲われた。薄暗い部屋にワット数の高い電球を点けたように。
(中略)
わたしは、強い灯りで照らされて隅々まで見えるように感じた自分の頭の奥の奥までのぞき込んで、目に留まった小さなことを、一つひとつ掘り起こし、自問自答を繰り返し始めた。そのうち見ようとしなくても、次から次へと浮かんでくるではないか。くっきりと。
躁状態になった瞬間の描写は鬼気迫っていた。
私はこんな状態になったことはないけれど、たぶんもう更年期。びっくりするほど調子の悪い日があって、そういう日は本当に何もできない。(でも子どもに関係することでやらなければいけないことは何かしらあり、何もしないわけにいかないから結局動いてしまうんだけど。それでさらにぐったり。)理由もなく落ち込むことが多くて、そういう日には、生きていても仕方ない...と思ってしまうこともある。
そんなときには病院に行く元気も出てこないけど、青山さんのすごいところは、原因を突き止めるために精神科だけでなく血液検査を受けたり、めまいの専門医にかかってみたり、セルフケアを心がけ、ワンルームを借りるのもオープンダイアローグもそうだし、最終的にはキックボクシングを始めたり、こうやって書くとかなり活動的なところ。もちろん何もできない日もあると書いてあるし、そういう日のことは記述としてあまり出てこないのだろうけれども、自分の不調に向き合おうという真摯さを感じる。
最後のほう、自分のことがよくわからなくても、「それでいいか」と受け止めることができるようになったと書いてあった。親からの呪いにも、「呪い」と「宝」の両面がある。揺れながらバランスを保っている天秤を眺めるように、何かを決めつけることなくそのままを受け入れるのがいいんじゃないか、という境地に青山さんは達したようだった。
ところで、青山さんの愛読書『精神科ナースになったわけ』(水谷緑)に出てくるという、心身の不調の原因は「だいたい血行」というフレーズが印象深かった。メンタルとフィジカル、その両輪に関係するものはつまり「血の巡り」だと書いてある。シンプルすぎるがおそらく真理だと思ってぐうの音も出ない。やっぱり運動か。運動なんだな..。
すきな場所

先日仕事中に、ああ今すぐあそこに行きたい!行かねばならない!という気持ちになってしまって、次の日休みだったので早速タリーズに行きました。
ここは家から車で15分くらいのところにあるのですが、なにげに、いまのところカフェ界でいちばん好きな場所。タリーズが...?と思われるかもしれないけど、コーヒーも美味しいし、タリーズにあるニューヨークチーズケーキは、チーズケーキ好きの私にとってこれまたいまのところ一番好みのチーズケーキ。しかもここのタリーズは本当に環境がよくて周りが気にならず、ここで本を読み始めるとものすごい集中力で本が読めるのです。
なので本が読みたくなったら、条件の許す限りここに来ることにしてて、別に本が読みたくないときでも、あわよくばいつでも、来たいと思ってしまう場所なのだった。本当に愛してる。ほんの少しいるだけでもなぜかとても心がスッキリして、なんだろう、自分にとって「気のいい場所」ってこういうことなのかな、と思ったりもします。この日も心が洗われました。以前別のタリーズに行ったら全然落ち着かなかったので、やっぱりこの場が良いんだと思う。
セカオワのライブとても楽しかった。予習とかいって、新しいアルバムを集中的に聴いていったけど、実際はあまり新しい曲はやらずに定番の曲が多かったのが予想外でした。でも定番だからこその盛り上がる曲もりだくさんで、乗せ方も上手だし、懐かしい曲も次々に。久しぶりのライブ本当に楽しかった~! 偶然同じ日に、ムスコくんの希望で参戦していたというママ友とも、後日セカオワ話ができて、それもうれしい思い出になりました。
Nautilus
10年ぶりにsekai no owariのライブに行くことになったので、新しいアルバム「Nautilus」を聴いて予習しています。
セカオワといえば、育児で気力も体力も使い果たした私が、少しだけ回復してきた頃にはじめてできた推し! 当時は「推し」という言葉もなかったし、なんなら「セカオワ」という略称もなく、「世界の終わり」から「sekai no owari」に変わって間もない頃で、「セカイノオワリ」という言葉を言うのがちょっと恥ずかしかった頃です...。しばらく新しい(オンタイムの)音楽を聴いていなかったので、「スターライトパレード」をはじめて聴いたときにめちゃくちゃびっくりして、それ以来、それはもうたくさんのときめきを与えてもらいました。
その後どんどんメジャーになってしまって、チケット取るのも大変だしなんだかなぁ...となったけど、アルバムだけは欠かさず買っていました。でも曲の数もどんどん増えてだんだん追いきれなくなり、「捨て曲のなさよ!!!」と思ってた1stアルバムのような感動は、アルバムが出るたびに少しずつ薄れていったけど、今回の「Nautilus」、聴けば聴くほど、とってもいいです。
まず、有名な「Habit」なんですけど、この曲は、出てすぐに、「あ、懐かしい!」と思った。これは私がとにかく愛する1stアルバムに入っていそうな雰囲気なのです、イントロからして。初期のセカオワといえば、たまに揶揄されてた通り"中2病感"が漂ってて、ちょっと哲学的「風」というか、生きるとは?正義とは?人間はこれでいいのか?ぼくは生まれた意味を問わずにはいられない...!みたいな...、青くて神経質な印象の曲が多かったけど、「Habit」は歌の内容もそれに近い感じ。でも同時に、昔の青臭さがとれて、熟練した感じも伝わってくるので、あの頃のこの感じ変わってない!と嬉しくて、でも進化してる!というのも感動的だったのです。
アルバムを通して聴いてると、他の曲にも、ピアノやギターのフレーズに昔の曲を思い出させるようなものがあって、変わってなさと、それをさりげなく入れてくる熟練感にとっても嬉しくなってしまうのでした。
あと、fukaseの曲っぽいと思っててもクレジットを見るとsaoriちゃんだったりして。以前は誰が作った曲か、もう少しわかりやすかった気がするんだけど、なんだかもう、誰が作っても「らしさ」がにじみ出るんだな、と、彼らはしっかり「セカオワ」らしさを共有しているんだなあとしみじみ。
昔、「みんなで一緒に暮らしてる」って言ってて、それにはちょっと驚いたけど、いまでも本当にずっと仲良しな家族みたいで、そこもセカオワの尊いポイントです。バンドはみんなそういうものと言われたらそうかもしれないんだけど、誰ひとりが欠けてもセカオワじゃなくて、4人でひとつのセカオワという生き物みたいだなあと思います。
で、
話がそれちゃったけど、
このMVは、4人の歩みがそのまま映像になってる感じで、それはもう尊い!
喧嘩のたびに、fukaseくんがsaoriちゃんにケーキ買って仲直りするというエピソード、すごく初期に言ってたなあ、とか。部屋で漫画読んでたLOVEさんが仲間に加わるところとか。いろいろありながらも4人で一緒に歩いてきたこの感じ、ファンとしては本当にムネアツなのです...! 「箱推し」とはなんて素敵な言葉でしょうか。
幼児を預けてライブに行くくらい私がドはまりしていた頃から、車でずっと聴いてきたムスメも中学生。英才教育が功を奏して、今回は彼女の希望でライブに行くことになりました。嬉しい。曲の数は増えたけど、相変わらず「スターライトパレード」ではじまり「インスタントラジオ」で終わるのかな?すごく楽しみになってきた!
地域通貨
資本主義の終わりがすぐそこまで来ているという動画ばっかり流れてきて、今日は地域通貨についての動画を見た。地域通貨で経済が回っているオーストラリアのある町の話。職業を通してお金を稼ぐのではなく、自分にできる特技のようなことで地域にコミットして、それで対価をもらえ、それを使って町の飲食店などで飲食ができたりする。輸入のコーヒーなんかは飲めないけれど、地域で作られたハーブティーなら地域通貨で飲める。自然と地産地消にもなる。
病気や障害で経済を生み出せない人もいるし、中には五体満足なのに価値の提供を何もしないで飲食したりするだけの人も出てくるけれど、価値の提供がたくさんできている人がプラスをもたらしているから、コミュニティ全体でみたときにマイナスになっていなければそれでOKなんだそう。たくさんの価値を提供できる人は、みんなのためにそうできていることで幸せみたいだ。優しい世界。(※ちなみに、これだけでは iPhoneとか買えないから、法定通貨も併用している。地域通貨はベーシックインカムてきな位置付け)
もし私がそこにいたら、いったい何の価値が提供できるんだろう、とどうしても考えてしまいますな…。自己肯定感が低いというだけの話じゃなくて、実際、いま私の収入は、アルバイトの対価が大半で、仕入れたものを細々と売る、が少し。どっちも現金がないと成立しない...。早急に!何か価値を生み出せる特技を...!…という考えになるわけだけど、そんな早急に身につけたところで、人様に提供できるもんじゃないよな...(=゚ω゚)ノ
そういえば、私の住んでるところにも地域通貨があるという話を、ちょうど少し前に聞いていたことを思い出す。ゴミ拾いなどでもその券がもらえるんだそう。そんなハードル低くていいのね...。参加してみたいという気持ちに俄然なった。同時に、なんらか価値の提供ができる自分になれるように努力して、少しずつ地域通貨にコミットしてみたい。
花を飾ると、神舞い降りる
著者の須王さんは、パリの花屋で働いているときにお花に宿る妖精を視てから、花だけでなくあらゆる自然のなかに妖精が視えるようになったそう。花を連れて帰ることは、すなわち妖精を連れて帰ることで、自分の気持ちに素直でいると、妖精がサポートしてくれるようになるんだとか。
すべてのものにはエネルギーがあって、もちろん花にも、花の色にもあるから、気分や状態に合わせてどんな花を飾るか選ぶことで、それを生かすコツなども書いてあった。
妖精かぁ…。視えるものなら視てみたいかも。須王さんによると、本当にティンカーベルみたいな姿形をしてるらしいです。かわいいなあ。残念ながら私の目には見えないけど、すべてのお花一輪ずつに妖精がついてるというのをふまえて庭の花を眺めると、なんだか楽しい気持ちになった。
エネルギーを整えるためにも、日常的にお花を飾るのがいいということで、すごくすごくやってみたい。でも我が家には、植物をかじるのが大好きな猫がいるので、もう長いこと家の中に花を飾ることができてない。たいていの植物は、猫にとって致命的な毒なのだった。
そんなわけで、植物のあふれた部屋に住むのに憧れてたし今も憧れなのですが、我が家ではなかなか難しい問題です。庭には花が咲いているからいいかなあ。屋内のエネルギーにはあまり影響できなそう。