元気じゃないけど、悪くない

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青山ゆみこさんの『元気じゃないけど、悪くない』(ミシマ社)を読んだ。

不安障害と診断された青山さんが、精神科にかかりながら、自分ひとりのための部屋を借りたり、知り合いと「オープンダイアローグ」をしてみたり、本や周りの人たちの力も借りながら少しずつ回復していく3年間の記録。

50歳を目前にして心身の不調がひどくなり、特に心が「振り切れ」てしまうところから始まる。

 いつも頭のあたりを覆っていたモヤのようなものが突然霧散して、頭蓋骨の内側がぱあっと明るく光り輝いているような感覚に襲われた。薄暗い部屋にワット数の高い電球を点けたように。

(中略)

 わたしは、強い灯りで照らされて隅々まで見えるように感じた自分の頭の奥の奥までのぞき込んで、目に留まった小さなことを、一つひとつ掘り起こし、自問自答を繰り返し始めた。そのうち見ようとしなくても、次から次へと浮かんでくるではないか。くっきりと。

躁状態になった瞬間の描写は鬼気迫っていた。

私はこんな状態になったことはないけれど、たぶんもう更年期。びっくりするほど調子の悪い日があって、そういう日は本当に何もできない。(でも子どもに関係することでやらなければいけないことは何かしらあり、何もしないわけにいかないから結局動いてしまうんだけど。それでさらにぐったり。)理由もなく落ち込むことが多くて、そういう日には、生きていても仕方ない...と思ってしまうこともある。

そんなときには病院に行く元気も出てこないけど、青山さんのすごいところは、原因を突き止めるために精神科だけでなく血液検査を受けたり、めまいの専門医にかかってみたり、セルフケアを心がけ、ワンルームを借りるのもオープンダイアローグもそうだし、最終的にはキックボクシングを始めたり、こうやって書くとかなり活動的なところ。もちろん何もできない日もあると書いてあるし、そういう日のことは記述としてあまり出てこないのだろうけれども、自分の不調に向き合おうという真摯さを感じる。

最後のほう、自分のことがよくわからなくても、「それでいいか」と受け止めることができるようになったと書いてあった。親からの呪いにも、「呪い」と「宝」の両面がある。揺れながらバランスを保っている天秤を眺めるように、何かを決めつけることなくそのままを受け入れるのがいいんじゃないか、という境地に青山さんは達したようだった。

 

ところで、青山さんの愛読書『精神科ナースになったわけ』(水谷緑)に出てくるという、心身の不調の原因は「だいたい血行」というフレーズが印象深かった。メンタルとフィジカル、その両輪に関係するものはつまり「血の巡り」だと書いてある。シンプルすぎるがおそらく真理だと思ってぐうの音も出ない。やっぱり運動か。運動なんだな..。

すきな場所

先日仕事中に、ああ今すぐあそこに行きたい!行かねばならない!という気持ちになってしまって、次の日休みだったので早速タリーズに行きました。

ここは家から車で15分くらいのところにあるのですが、なにげに、いまのところカフェ界でいちばん好きな場所。タリーズが...?と思われるかもしれないけど、コーヒーも美味しいし、タリーズにあるニューヨークチーズケーキは、チーズケーキ好きの私にとってこれまたいまのところ一番好みのチーズケーキ。しかもここのタリーズは本当に環境がよくて周りが気にならず、ここで本を読み始めるとものすごい集中力で本が読めるのです。

なので本が読みたくなったら、条件の許す限りここに来ることにしてて、別に本が読みたくないときでも、あわよくばいつでも、来たいと思ってしまう場所なのだった。本当に愛してる。ほんの少しいるだけでもなぜかとても心がスッキリして、なんだろう、自分にとって「気のいい場所」ってこういうことなのかな、と思ったりもします。この日も心が洗われました。以前別のタリーズに行ったら全然落ち着かなかったので、やっぱりこの場が良いんだと思う。

 

セカオワのライブとても楽しかった。予習とかいって、新しいアルバムを集中的に聴いていったけど、実際はあまり新しい曲はやらずに定番の曲が多かったのが予想外でした。でも定番だからこその盛り上がる曲もりだくさんで、乗せ方も上手だし、懐かしい曲も次々に。久しぶりのライブ本当に楽しかった~! 偶然同じ日に、ムスコくんの希望で参戦していたというママ友とも、後日セカオワ話ができて、それもうれしい思い出になりました。

Nautilus

10年ぶりにsekai no owariのライブに行くことになったので、新しいアルバム「Nautilus」を聴いて予習しています。

セカオワといえば、育児で気力も体力も使い果たした私が、少しだけ回復してきた頃にはじめてできた推し! 当時は「推し」という言葉もなかったし、なんなら「セカオワ」という略称もなく、「世界の終わり」から「sekai no owari」に変わって間もない頃で、「セカイノオワリ」という言葉を言うのがちょっと恥ずかしかった頃です...。しばらく新しい(オンタイムの)音楽を聴いていなかったので、「スターライトパレード」をはじめて聴いたときにめちゃくちゃびっくりして、それ以来、それはもうたくさんのときめきを与えてもらいました。

その後どんどんメジャーになってしまって、チケット取るのも大変だしなんだかなぁ...となったけど、アルバムだけは欠かさず買っていました。でも曲の数もどんどん増えてだんだん追いきれなくなり、「捨て曲のなさよ!!!」と思ってた1stアルバムのような感動は、アルバムが出るたびに少しずつ薄れていったけど、今回の「Nautilus」、聴けば聴くほど、とってもいいです。

 

まず、有名な「Habit」なんですけど、この曲は、出てすぐに、「あ、懐かしい!」と思った。これは私がとにかく愛する1stアルバムに入っていそうな雰囲気なのです、イントロからして。初期のセカオワといえば、たまに揶揄されてた通り"中2病感"が漂ってて、ちょっと哲学的「風」というか、生きるとは?正義とは?人間はこれでいいのか?ぼくは存在の根源を問わずにはいられない!みたいな、青くて神経質な印象の曲が多かったけど、「Habit」は歌の内容もそれに近い感じ。でも同時に、昔の青臭さがとれて、熟練した感じも伝わってくるので、あの頃のこの感じ変わってない!と嬉しくて、でも進化してる!というのも感動的だったのです。

アルバムを通して聴いてると、他の曲にも、ピアノやギターのフレーズに昔の曲を思い出させるようなものがあって、変わってなさと、それをさりげなく入れてくる熟練感にとっても嬉しくなってしまうのでした。

あと、fukaseの曲っぽいと思っててもクレジットを見るとsaoriちゃんだったりして。以前は誰が作った曲か、もう少しわかりやすかった気がするんだけど、なんだかもう、誰が作っても「らしさ」がにじみ出るんだな、と、彼らはしっかり「セカオワ」らしさを共有しているんだなあとしみじみ。

昔、「みんなで一緒に暮らしてる」って言ってて、それにはちょっと驚いたけど、いまでも本当にずっと仲良しな家族みたいで、そこもセカオワ尊いポイントです。バンドはみんなそういうものと言われたらそうかもしれないんだけど、誰ひとりが欠けてもセカオワじゃなくて、4人でひとつのセカオワという生き物みたいだなあと思います。

 

で、

話がそれちゃったけど、

youtu.be

このMVは、4人の歩みがそのまま映像になってる感じで、それはもう尊い

喧嘩のたびに、fukaseくんがsaoriちゃんにケーキ買って仲直りするというエピソード、すごく初期に言ってたなあ、とか。部屋で漫画読んでたLOVEさんが仲間に加わるところとか。いろいろありながらも4人で一緒に歩いてきたこの感じ、ファンとしては本当にムネアツなのです...!

幼児を預けてライブに行くくらい私がドはまりしていた頃から、車でずっと聴いてきたムスメも中学生。英才教育が功を奏して、今回は彼女の希望でライブに行くことになりました。嬉しい。曲の数は増えたけど、相変わらず「スターライトパレード」ではじまり「インスタントラジオ」で終わるのかな?すごく楽しみになってきた!

地域通貨

資本主義の終わりがすぐそこまで来ているという動画ばっかり流れてきて、今日は地域通貨についての動画を見た。地域通貨で経済が回っているオーストラリアのある町の話。職業を通してお金を稼ぐのではなく、自分にできる特技のようなことで地域にコミットして、それで対価をもらえ、それを使って町の飲食店などで飲食ができたりする。輸入のコーヒーなんかは飲めないけれど、地域で作られたハーブティーなら地域通貨で飲める。自然と地産地消にもなる。

病気や障害で経済を生み出せない人もいるし、中には五体満足なのに価値の提供を何もしないで飲食したりするだけの人も出てくるけれど、価値の提供がたくさんできている人がプラスをもたらしているから、コミュニティ全体でみたときにマイナスになっていなければそれでOKなんだそう。たくさんの価値を提供できる人は、みんなのためにそうできていることで幸せみたいだ。優しい世界。(※ちなみに、これだけでは iPhoneとか買えないから、法定通貨も併用している。地域通貨ベーシックインカムてきな位置付け)

 

もし私がそこにいたら、いったい何の価値が提供できるんだろう、とどうしても考えてしまいますな…。自己肯定感が低いというだけの話じゃなくて、実際、いま私の収入は、アルバイトの対価が大半で、仕入れたものを細々と売る、が少し。どっちも現金がないと成立しない...。早急に!何か価値を生み出せる特技を...!…という考えになるわけだけど、そんな早急に身につけたところで、人様に提供できるもんじゃないよな...(=゚ω゚)ノ

そういえば、私の住んでるところにも地域通貨があるという話を、ちょうど少し前に聞いていたことを思い出す。ゴミ拾いなどでもその券がもらえるんだそう。そんなハードル低くていいのね...。参加してみたいという気持ちに俄然なった。同時に、なんらか価値の提供ができる自分になれるように努力して、少しずつ地域通貨にコミットしてみたい。

花を飾ると、神舞い降りる

  

著者の須王さんは、パリの花屋で働いているときにお花に宿る妖精を視てから、花だけでなくあらゆる自然のなかに妖精が視えるようになったそう。花を連れて帰ることは、すなわち妖精を連れて帰ることで、自分の気持ちに素直でいると、妖精がサポートしてくれるようになるんだとか。

すべてのものにはエネルギーがあって、もちろん花にも、花の色にもあるから、気分や状態に合わせてどんな花を飾るか選ぶことで、それを生かすコツなども書いてあった。

妖精かぁ…。視えるものなら視てみたいかも。須王さんによると、本当にティンカーベルみたいな姿形をしてるらしいです。かわいいなあ。残念ながら私の目には見えないけど、すべてのお花一輪ずつに妖精がついてるというのをふまえて庭の花を眺めると、なんだか楽しい気持ちになった。

エネルギーを整えるためにも、日常的にお花を飾るのがいいということで、すごくすごくやってみたい。でも我が家には、植物をかじるのが大好きな猫がいるので、もう長いこと家の中に花を飾ることができてない。たいていの植物は、猫にとって致命的な毒なのだった。

そんなわけで、植物のあふれた部屋に住むのに憧れてたし今も憧れなのですが、我が家ではなかなか難しい問題です。庭には花が咲いているからいいかなあ。屋内のエネルギーにはあまり影響できなそう。

サンキャッチャー作り

先日、1年以上恋焦がれていたサンキャッチャーを、とうとう作りに行ってきました!

インスタのとあるアカウントで、ワークショップで作るサンキャッチャーに一目ぼれしてから紆余曲折、一緒に行こうということになっていた友だちとの予定が合わなかったり、大雪に邪魔されたりと、なかなか許可が下りなかったのです...。

仕切り直したらメンバーも増えて、本当に満を持してのサンキャッチャー作り。最高だった~!

はじめに、先生が数秘でラッキーカラーを診断してくれて、マスターナンバー11の私はインディゴということなので、青っぽい色を中心に。

ビーズもパーツもびっくりするくらいたくさんの種類が用意されていて、そこから選ぶのは、もちろん楽しいけどこれは大仕事ですよ...!「青系で」と思っていても、目移りしちゃうし、方向性が決まるまでは何が正解かわからず右往左往してしまう...。それでもなんとか自分の内側に焦点当てて、この、自分のこころに訊く感じ、は、カラーセラピー受けたときの感じに似てるような気がしました。

なんだかんだで最終てきには、すごく「自分だなあ」と感じるものが完成。一緒に行った友人たちのも、「わかるなー!」という感じでみんなイメージ通り。面白いくらい個性が表れてた。

 

ずっと憧れてたサンキャッチャー。子ども時代、ずっと欲しかった玩具を買ってもらったときの気持ちに似てる満足感で、本当につくづく、自分は牡牛座だなぁとおもいました。物にときめいてしまいがち。最近は、あらゆることにあまり執着しなくなったし、物欲もだいぶ減ってきたと思うのですが、ときめくもの、欲しかったものを手に入れられるとかなり嬉しくなってしまいます。

とってもパワフルで、西日があたると部屋中キラキラ。すごく大事にしよう♪

 

 

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ところで、本当に久しぶりにブログ書きました。

本当に本当に放置もいいところでしたが、何かを書きたい気持ちはいつもいつもすごくあります。

サンキャッチャーの先生にも、数秘てきに、何か書くといいのでは、とおすすめしてもらったりしたので、少しずつまた書いてみようかなあと思っています。なんだか、ブログ書こうと思うと構えてしまうのですが、なるべくそういうの取っ払って、素直な気持ちで、日記のようなものとか、どうでもいいことなどを。

インスタとかツイッター(これはやめて、いまはスレッズ)にちょっと書いたりするけど、長文は書きづらくて、そうこうしているうちに長文を書けなくなってる気がする。リハビリもかねてちょっとずつ書いていきたいです。